心理学/アートで本質を伝える襟田麻衣のブログ

18年のひきこもり&発達障害(ADHD&ASD)うつ病を経て、伝えたいことを心理学やアート、ブログで発信!!

ひきこもり18年間、社会復帰のために挑戦したこと(前編)

高校生のときに不登校になってから18年間、現在も進行形でひきこもり生活を送っている襟田麻衣です。

決してその間、ゲームばかりして過ごしていたとか、うつで寝込んでいたというわけではなく、実はさまざまな挑戦をして社会復帰を試みました。すべて失敗したから現在も無収入なわけですが、失敗例を示すのも必要かと思われますので、ここで棚卸しを兼ねて書いていきたいと思います。

RPGツクールに約300時間費やしてしまう

この頃、「デュープリズム」というスクウェア(現スクウェア・エニックス)が発売したアクションRPGのストーリーなどに感化されて、当時発売されていたプレイステーション1版「RPGツクール3」でのゲーム作りにハマりました。

明らかに無駄な時間潰しですね。本当にそう思います。

前々からRPGが大好きで、ゲームクリエイターに憧れたこともあった過去。 ここで本腰を入れてプログラムなどはもちろんのこと、転職システムや二刀流システムを利用しての独自戦闘カスタマイズシステムの考案、オリジナルデザインのキャラクターの導入、キャラクターのタイプ(飛行キャラが空中移動することで仕掛けが解けるなど)によっても左右されるダンジョンの仕掛けも考え込み、私ができる最大限の力作を作ったのです。 もちろんストーリーは笑いあり、涙はほぼなし(笑)

そうして作ったゲームは何人かにプレイしていただきました。

しかし上には上がいるもので、当時ネットでプレステ1のセーブデータがアップできたのですが、そこで入手したツクール3の作品が、ドラクエやその他のアニメ作品などのパロディを織り交ぜた名作でした。

私もプログラムでさまざまな表現方法を駆使したのですが、その人のものは本当に、「こんなことまでできるのか!」というプログラムが満載。

現在ではPCゲームから始まり、ネットゲームやアプリゲームの普及により、ゲーム業界は様変わりしました。

演出や課金システムなどに焦点が当てられた現在、スーファミ時代の容量が限定されているゆえの工夫されたゲームシステムは今や昔ですね(もちろんその頃のゲームを懐かしんで楽しむ層がいるのも確かです)

不登校で高校を辞めたあと、通信制高校で卒業

さすがに皆と一緒に高校を卒業したい! 留年はしたくない! と思った私は、留年の危険をはらんだまま、全日制の高校に在学するのではなく、ほとんど登校する必要のない通信制に転校して、3年で高校を卒業することを選んだのです。

転校した通信制の高校は、当時は土日コースがあり、土日のみの楽な登校で済み、働いている人が多いことで授業は至って静か(ヤンキーが多い高校だったので)、テストもリポートと全く同じ問題がほとんどなため、余裕の卒業となりました(単位も高二までにかなり取っていたので、わずか五科目のテストで済みました)

通信制の芸大に進むもやむなく中退

しかし受験勉強を全くしていなかった私。浪人するほど行きたい大学もなければ、就職は嫌だとなり、試験なしで入学できる通信制の芸大の美術科に入学しました。

しかしそこは社会人や主婦、定年退職を迎えた方が中心で、私と同年代の人はほとんどいません。通信制高校とは全く学生層もシステムも違ったのです。

卒業までに選択可能な科目の教科書からレポート用紙まで、一括で送られてきて、あとは自主性にまかせる=放ったらかしでした。

大学レポートの書き方はわからないわ、デッサン課題をしようにも部屋のスペースが狭く、課題はやりにくいわで、試行錯誤して完成させたデッサン、レポートを送っても再提出。

現在は知りませんが、とにかく当時は卒業が非常に難しかったです。毎年四百人くらいが入学するものの、 卒業するのはたった20人程度。5%という卒業率でした。

2年在籍して、卒業できそうにないと悟ったとき、うつが悪化して病院に通うことになりました。そのとき20歳。それから長い通院生活とともにフリーターニートの道に突き進むことになったのです。

大学在学中からしていたコンビニバイト

大学でおばさんに、「あなた働いていないの?」という一言から始まったバイト。大学入学と共にバイト始めようとは思っていたのです。しかしパン屋さんとセブンイレブンに落ちたことでどっぷり落ちこみ、ニートしていただけです。

そして奮闘し、なんとかファミマでのバイトが決まりました。

このファミマの職場が働きやすいのなんの! 先輩、後輩という縦のつながりがなく、店員は皆平等。スタッフもお客さんも優しい人ばかりでした。 教育は店長直々に丁寧に行ってくれ、マニュアル的なことはもちろんのこと、コンビニ店員として優先すべきこと、苦情の電話がかかってきたときなどの接客の基本も教えてくれ、大変勉強になりました。

しかしADHD満開な私はミス連発。
冷たいままの肉まんを渡してしまったり、トイレにトイレットペーパーを落としたり、飲み物の箱を積んだ荷台が動かなくなり、もう一人の店員のヘルプだけでは動かず、しまいには子どものお客さんに手伝ってもらう始末。レジの計算が合わないこともしょっちゅう。

それでもここの店長は注意どまりで、むしろ長所をみつけて褒めてくれました。そのため大変働きやすい職場だったのですが。

どうしても月に一度は一週間休みを貰う必要ができ、うつも悪化してきたことから、バイトを辞め、ニートになることになったのです。

介護職員初任者研修を習得するも

家に認知症になった祖母がいたことがきっかけになり、介護職に興味を持った私は現在の介護職員初任者研修の資格を取りに行きました。

資格を取るのは当時は簡単だったのです。週に1回の講義、演習をして、3日間の施設実習をすれば、誰でも習得できる資格でした。現在も人手不足で、簡単に取れる資格なため、ほぼ紙切れですな。

このとき体験した施設実習で、仕事内容以上に職場の雰囲気の悪さに疲れ果て、「介護職はするもんか!」と心に誓ったのでした。

花嫁修業をして結婚に備えていたら破談になった

売れ残り消費期限切れバツなし女の私にも結婚をしたいと言ってくれた人がいました。

その人とは遠距離恋愛だったため、バイトをしていたときから毎月大阪から山口県まで行きは新幹線、帰りは夜行バスで往復していたのです。

山口県はとーっても田舎の車社会なので、運転免許を取りたくなかった私も免許を取りに行くことになりました。それも相手の車の都合でマニュアルで。

空間感覚が才能的に欠如していたので、ハンドル操作で上手く曲がれない、距離感がつかめない、マルチタスクができないため一つのことしか集中できない、注意欠陥がたびたび起こるなど、どう考えても車を運転してはいけない人種でした。教官にも、「絶対に事故を起こす」と言われていました。

それでもなんとか自動車学校が卒業でき、免許を獲得することができたのですが、免許取って初めての運転で溝にはまり、阪神高速を運転していたらハンドルを助手席の父親に操作を手伝ってもらわないとうまく曲がれず、信号無視も行い、最後は地下に行く駐車場で車体をこする始末。

彼氏が大阪に来ることになったこともあり、免許を封印しました。

その頃半同棲状態だったのですが、家に家事をしにいかなかったのを理由に浮気されかけ、掃除が行き届いていなかったことで文句を言われ。

この彼氏は元々、地元で非正規労働者でしたが、月収が非常に少なく、大阪に就職しに行くも不当にクビを言い渡され、この頃ずっと求職中でした。仕事が決まったときに結婚の話を切り出すと、「おかんが結婚を反対してるからなー」とごまかされました。

ちょっと待て。元々かなり前からそちらが結婚しようと話を持ちかけたのだろ? 私と結婚しないのなら大阪にいるときに家事手伝いをさせて、職歴積んだら地元に帰ると言っていたので、それを機にポイですか。

やってられないと思い、別れることにしました。
結婚を渋る人にいつまでも付き合っていられません。

これで将来が全く見えないニートに成り下がりました。

それを苦に自殺するも未遂に終わり、精神科閉鎖病棟で短期入院をしました。

私は男性側から結婚の話を持ち出しておいて、その後結婚できない的なことを言い出すのは立派な結婚詐欺ではないかと思います。

また、この彼氏と付き合い始め頃にイラストレーターを目指して、ホームページにイラストをアップしていました。

主にPhotoshopPainterを使用してのCGを描いていたことで、自然とPhotoshopの基本的な操作を覚えることができたこと、自力でホームページを作成して公開したことで、多少のHTMLの仕組みやスタイルシートの使い方を理解できたことは、CGを描いててよかったことの一つかなと思います。

続きは後半へ

この後どうなるかは気になるかもしれませんが、今日はここで終わりたいと思います。
それでは明日に続く!(多分)

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